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i remember nothing

文章の練習も兼ねています

行間がスカスカ

私のブログを読んでもらっている人から、「文章に行間が空きすぎているからもっと埋めた方がわかりやすいと思う」

というコメントをもらえた。

自分では全くそんなつもりはなくて、というか行間というものの存在を全く考えないまま、技術的な文章はともかく、普段の日記だとか雑記みたいなものは思うままに書いていた。

 

行間を埋めるという言葉を聞くと数学書を割と熱心に読んでいた時期を思い出す。数学書を読む人たちはみんな、本のあるセクションの記述を理解することを「行間を埋める」と言っていた。

これはまさに文字通り行間を埋める行為で、たとえば一行目になんらかの公理や式が書かれている。

二行目にそこから推論されるであろうことが書いてある。

 

この一行目と二行目の間の、本には書かれていない推論を自分で考えて式と文章にまとめる、そういう作業を「行間を埋める」と言っていた。

 

確かに何かを説明するとき、言葉と言葉の繋がりが出てくる。自分の中では当然であるが、そこを第三者から見て一見繋がりがないように見える。

そこで、その言葉と言葉のつなぎとしての言葉を考える。それが行間を埋めるという行為なのであろう。

いざ行間を埋めようとするとき、つまり言葉と言葉を繋げる言葉を考えるとき、自分の中では繋がっていたはずのものがパッと出てこない時もある。自分で書いたはずの言葉の行間が埋められない。

 

なんとなくわかっていた事、この「なんとなく」を明らかにするのは難しい。よくよく考えてみると自分でもよく理解してないのに言ってたことに気づいたり、また考えた末ひねり出した言葉からまた行間の隔たりを発見することもある。

 

言葉と言葉の間はなんとなく繋がっているようでつながっていない。そこには無数の隔たりがある。