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文章の練習も兼ねています

バトラーの「自分自身を説明すること」を読み始めた

今退職->次の業務までの空き期間なのでいろんな本を読んでいます。

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)

この本でバトラーが主張していること

この本でバトラーは倫理を扱い、ことに「倫理的暴力の批判」を主たる主張にしている。

バトラーにおける倫理は政治の問題と密接に結びついている。

さて、バトラーが具体的にいかなる「倫理」を問題としていたのか。 バトラーはミシェル・フーコーとともに、主体は権力、あるいは規範への呼びかけとその内面化によって創始されると考えていた。多くのポスト構造主義者たちが主体は倫理的熟慮を導く能力、人間の行為能力を基礎づける能力を掘り崩すとみなされていたのとは対照的に、である。

つまり、権力による呼びかけによる主体化(=服従化)以前に主体は存在せず、またこれによらない行為能力は存在しないと述べている。 行為能力(agency)とはつまり、主体の服従化の結果なのである。 バトラーは「ジェンダー・トラブル」においても、 ジェンダー化された主体は、[同性愛の禁止]などの社会的規範の「呼びかけ」によって生産されると述べていた。

このように主体は自らにとって外的な社会的権力・規範によって形成されるという命題を仮定すると、責任の可能性、自分を説明する可能性をいかに基礎づけるか、ということが問題となってくる。

この本ではこの責任の可能性、自分を説明する可能性をいかに基礎づけるか、ということが提起されている。

最近個人的に社会的倫理や規範、権力に興味を持っていて、その上でこのテーマ”責任の可能性、自分を説明する可能性をいかに基礎づけるか”は大変興味深い。 あとは英米倫理の教科書を読んだり、モラル・トライブス

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

を読んでいる。

とはいえこのバトラーの本もまだ中盤までしか読んでいないので、またメモをまとめ次第記事を更新する。

なかなか一人で読むと理解しているかわかりづらいので、一緒にゼミとかしてくれる人いませんかね.....